縄文貝塚はゴミ捨て場?それとも高度な祖霊信仰?

貝塚の解釈が扱っている人によって違いますね。
現代的解釈をする人はゴミ捨て場と解釈していたりすることもあります。
学者でも貝塚はゴミ捨て場と書いている人がいたりして、そういう観念的教育を受けてしまっていた世代なのでしょうか。

まぁ自分もそのように言っている人の情報が入っていたような気がするので、いつのまにか洗脳されてしまった時期もあるような感じもします。

この世界に入って学びを深めてからは、ゴミ捨て場なんてとんでもない話であることが分かりました。

縄文人は全ての魂は山に返ることを知っていて、魂の宿ったものを返す場所として適した場所を選び置いていった結果、何千年何万年と経過すると貝塚のようになっただけということであったということですね。

土器や道具のようなものも魂が宿っているとみなした場合は、壊れていないものでも必要があれば貝塚に置いて御見送りみたいに対応していたと考えられています。

このような高度な霊的対応が何万年と蓄積し、今の日本の高度な霊的基礎となっていったことは間違いないことでしょう。

ただこの基礎もだいぶやられてきているので、再度構築し直さないと日本の霊的国防力は高まってくれないのかもしれません。





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波宮 遥's Ownd

過去生請負人・波宮遥のブログです。 醒麗ガーデンズの代表なんかもやっています。 日々の気づきや楽しいことを書き込んでいこうと思います。 https://haruka-namimiya.com/ https://www.seireigardens.jp/index.html